「河原町アートの日ラスト」、無事に終わりました。
遊びに来てくださった皆さま、お買い上げいただいた皆さま、本当にありがとうございました。ぺこり。
おかげさまでいくつかの商品は完売することが出来ました。
本当にたくさんの方に来ていただいて、河原町、そして河原町アートの日がたくさんの人に愛されてるんだなぁと感じられて嬉しかったです。
アートの日の終了後、小雨が降る中、火事があった河原町まで歩いて行ってみました。
目の前に広がった見たこともない光景を見て、言葉が出ず、ただただ立ち尽くすだけでした。
もうあの日の河原町繊維問屋街はそこにはありませんでした。
同じようにその場にいて同じ風景を見ていたおじさんに話しかけました。
そのおじさんは火災現場の繊維問屋街に今現在も住んでいる方でした。
火災の状況などを話してくれました。
そして、こんな話をしてくれました。
「この繊維問屋街はほんの30年前までは本当に栄えてたんや。お店もたくさん営業していて、いつも賑わっていたし、わしらはここの洋服を車にたくさん積んで地方のいろんなお宅を訪ねて、洋服を見せながら『いかがですか?買ってくれませんか?』と言って、売り歩いてたんや。過去に一度、ここ全部は焼け野原になったことがあったけど、そこから鉄筋やらコンクリートやらで今の繊維問屋街が出来て、それはそれは活気があった。それがたったの30年でデパートやブティックが出来て、あっという間にここは廃れていった。あんたら若いもんにはわからんやろ。ほんの30年前のことや。わしは38歳やった。それが今はこんなんや。誰が想像出来る?あんな賑わってたのに、この焼け野原…」と声を震わせ、同じ話を10回くらい、時間にして30分ほど。
そして、「あんた、若いのに素直にわしの話を聞いてくれるね」と言うので「歴史を知るって大切だと思うし、私が見てきた今の光景も自分たちの子どもや孫の世代に伝えていかないといけないと思うんです。30年前を知るお父さんのその記憶は貴重だと思うし、今から30年後も私たちが予想もしなかった未来になってるかもしれないですしね」と言うと、おじさんはまた同じことを話し始めました。
同じことを繰り返すってことは、とても大切なことなんだと思うし、おじさんの記憶の中にある河原町繊維問屋街は活気に満ち溢れた存在であって、その時と今のこの目の前の光景のギャップを埋めるには言葉にして吐き出して、そしてそれを誰かが聞いて受け止めてあげることなんじゃないかな…と思ったので、時間の許す限り、話を聞きました。
そうこうしてる間に、つんの帰る時間になったのでそのことを告げると「長い時間、ありがとね。あんたがあまりに無邪気に聞いてくれるから、ついつい話し過ぎてしまった」と謝るので「お父さん、少しはスッキリ出来ました?」と聞くと、「おうおう。わし、たばこを買いに行くつもりで出て来たのに、またこの光景を見に来て、あんたと話し込んでしまったわ。じゃね」と傘を差して、小雨の降る中、去って行きました。
人生、生きてると何があるか誰にもわかりません。
明日、何があるのかも誰にもわかりません。
「今」を精一杯生きようと、改めて思いました。
遊びに来てくださった皆さま、お買い上げいただいた皆さま、本当にありがとうございました。ぺこり。
おかげさまでいくつかの商品は完売することが出来ました。
本当にたくさんの方に来ていただいて、河原町、そして河原町アートの日がたくさんの人に愛されてるんだなぁと感じられて嬉しかったです。
アートの日の終了後、小雨が降る中、火事があった河原町まで歩いて行ってみました。
目の前に広がった見たこともない光景を見て、言葉が出ず、ただただ立ち尽くすだけでした。
もうあの日の河原町繊維問屋街はそこにはありませんでした。
同じようにその場にいて同じ風景を見ていたおじさんに話しかけました。
そのおじさんは火災現場の繊維問屋街に今現在も住んでいる方でした。
火災の状況などを話してくれました。
そして、こんな話をしてくれました。
「この繊維問屋街はほんの30年前までは本当に栄えてたんや。お店もたくさん営業していて、いつも賑わっていたし、わしらはここの洋服を車にたくさん積んで地方のいろんなお宅を訪ねて、洋服を見せながら『いかがですか?買ってくれませんか?』と言って、売り歩いてたんや。過去に一度、ここ全部は焼け野原になったことがあったけど、そこから鉄筋やらコンクリートやらで今の繊維問屋街が出来て、それはそれは活気があった。それがたったの30年でデパートやブティックが出来て、あっという間にここは廃れていった。あんたら若いもんにはわからんやろ。ほんの30年前のことや。わしは38歳やった。それが今はこんなんや。誰が想像出来る?あんな賑わってたのに、この焼け野原…」と声を震わせ、同じ話を10回くらい、時間にして30分ほど。
そして、「あんた、若いのに素直にわしの話を聞いてくれるね」と言うので「歴史を知るって大切だと思うし、私が見てきた今の光景も自分たちの子どもや孫の世代に伝えていかないといけないと思うんです。30年前を知るお父さんのその記憶は貴重だと思うし、今から30年後も私たちが予想もしなかった未来になってるかもしれないですしね」と言うと、おじさんはまた同じことを話し始めました。
同じことを繰り返すってことは、とても大切なことなんだと思うし、おじさんの記憶の中にある河原町繊維問屋街は活気に満ち溢れた存在であって、その時と今のこの目の前の光景のギャップを埋めるには言葉にして吐き出して、そしてそれを誰かが聞いて受け止めてあげることなんじゃないかな…と思ったので、時間の許す限り、話を聞きました。
そうこうしてる間に、つんの帰る時間になったのでそのことを告げると「長い時間、ありがとね。あんたがあまりに無邪気に聞いてくれるから、ついつい話し過ぎてしまった」と謝るので「お父さん、少しはスッキリ出来ました?」と聞くと、「おうおう。わし、たばこを買いに行くつもりで出て来たのに、またこの光景を見に来て、あんたと話し込んでしまったわ。じゃね」と傘を差して、小雨の降る中、去って行きました。
人生、生きてると何があるか誰にもわかりません。
明日、何があるのかも誰にもわかりません。
「今」を精一杯生きようと、改めて思いました。