熊本地震の本震から今日で、1年を迎えました。
なんだかあっという間に過ぎていった1年。
遠い昔のことのように感じます。
ですが、まだまだ地震の爪痕はあちこちに残っていて、時間の流れと共に止まったままの空気も感じたりもします。
「何も変わらない日常」が、「特別な日」に変わる瞬間を身を以って体験した日です。
電気が使えないこと、水が出ないこと、ご飯が食べられないこと。
ただ、考える時間だけはたくさん与えられたこと。
自分がここにいることの意味や理由をたくさんたくさん考えました。
忙しい日常の中で自分と向き合う時間というのは後回しになりがちですが、この地震の後の「日常の音のない
時間」はつんにとってとても貴重な時間になりました。
おかげで、自分がやりたいこと、やるべきことがはっきりとして、今の自分と自分が描く未来の方向性を形成することができました。
地震後、外にあまり出なかったのでいつの間にか桜は葉桜に変わり、外に出て日常を送る頃には1つの季節を飛び越えてまるでワープしたような、そんな不思議な感覚でした。
そんなわけで、2年分の桜を見たような、今年の桜には特別な思いが詰まっています。
今年の春は寒かったので、桜が咲くのも、散るのも遅い気がします。
4月も後半に入りましたが、まだ満開の桜も見かけます。
パラパラと穏やかに散る桜の下を通ると、来年も、再来年も、桜の季節が巡ってくる度に、こうやって「あの日」のことを思い出すんだろうな…と思います。
熊本地震でまだまだ心から安心して暮らせていない方もたくさんいます。
復興についても温度差があるのも事実です。
つんに出来ること、できる限りやりたいと思っています。
みんなの心が、穏やかに、日常を送れますように。
心を込めて。
2017.4.16
なんだかあっという間に過ぎていった1年。
遠い昔のことのように感じます。
ですが、まだまだ地震の爪痕はあちこちに残っていて、時間の流れと共に止まったままの空気も感じたりもします。
「何も変わらない日常」が、「特別な日」に変わる瞬間を身を以って体験した日です。
電気が使えないこと、水が出ないこと、ご飯が食べられないこと。
ただ、考える時間だけはたくさん与えられたこと。
自分がここにいることの意味や理由をたくさんたくさん考えました。
忙しい日常の中で自分と向き合う時間というのは後回しになりがちですが、この地震の後の「日常の音のない
時間」はつんにとってとても貴重な時間になりました。
おかげで、自分がやりたいこと、やるべきことがはっきりとして、今の自分と自分が描く未来の方向性を形成することができました。
地震後、外にあまり出なかったのでいつの間にか桜は葉桜に変わり、外に出て日常を送る頃には1つの季節を飛び越えてまるでワープしたような、そんな不思議な感覚でした。
そんなわけで、2年分の桜を見たような、今年の桜には特別な思いが詰まっています。
今年の春は寒かったので、桜が咲くのも、散るのも遅い気がします。
4月も後半に入りましたが、まだ満開の桜も見かけます。
パラパラと穏やかに散る桜の下を通ると、来年も、再来年も、桜の季節が巡ってくる度に、こうやって「あの日」のことを思い出すんだろうな…と思います。
熊本地震でまだまだ心から安心して暮らせていない方もたくさんいます。
復興についても温度差があるのも事実です。
つんに出来ること、できる限りやりたいと思っています。
みんなの心が、穏やかに、日常を送れますように。
心を込めて。
2017.4.16