「つんさんは生きてるだけでインプットが人より多いんだから、質にこだわらずにアウトプットしていかないと消化不良を起こすよ」
画家の友人が言った。
まさに、その通りだと思った。
私は物心ついた時から、目に映る全ての物が生きて見えるという特性を持っている。
そんな私は、ただ生きてるだけでもいろんなことをキャッチしてしまう。
本人はキャッチするつもりなんてないのに、私のアンテナは常に「何か」を拾ってしまうのだ。
道を歩けば、すれ違う人の服装や髪型や表情という情報だけではなく、電柱や信号機や捨てられたペットボトルが話しかけて来る。
家にいる時でさえ、机もエアコンもお茶碗も私に話しかけて来る。
おかげで、生きていて「孤独だ」と感じたことはおそらく無い。
いや、あったかもしれないが、覚えていない。
そのくらい常に何かの気配を感じながら今までを生きてきたわけだが、それがとにかくしんどい時がある。
「一人になりたい、静かな環境でたった一人になりたい」
一度たりとも、そんなことが叶ったことはないのだ。
中学生の頃、そんな状態が苦しくて苦しくて「白い部屋」というものを作った。
作ったというか、頭の中に想像したのだ。
その白い部屋は文字通り「何もない真っ白な部屋」なのだ。
四方を真っ白な壁で囲まれた小さな部屋。
白いドアノブを捻って開けて中に入り、ドアを閉じるとさっきまで存在していたドアノブも扉も扉と壁の隙間や境界線もすーっと一体化して消えてしまうという不思議な部屋だ。
私はそこに直立不動で、ただただ頭の中の喧騒を鎮めることに必死に向き合う。
前を見ても上を見ても下を見ても、どこにも継ぎ目のない白い部屋。
四隅の陰影さえ存在しないそんな不思議な部屋。
思考や情報で埋め尽くされていた頭の中がリセットされたところで、白い部屋を出る。
そんな繰り返しの毎日を過ごした。
当時は「作品を作ることで頭の中を整理する」という術を知らなかったので、白い部屋に入り浸った。
あれから随分と大人になったが、時々この白い部屋の中に入る。
コロナ禍になってから余計に頭の中が騒がしい。
作品展示が出来なくなってから、自分を取り巻く環境が一変したからだろう。
純粋な作品制作の代わりに、オンラインショップや動画編集など、本人が苦手とすることに挑戦することが増えたからだ。
今までは採算度外視で向き合っていた作品制作だったが、ビジネスの勉強をし始めると途端に作品制作というものに濁りが生じてきた。
そんなことに違和感と嫌悪感を抱きながらも、向き合うしかなかった。
「自分の好きな物を作りたい」という気持ちと「求められている物を生み出すこと」の狭間で、もがき苦しんだ。
いや、今も、もがいている。
そして、手が動かなくなってしまうのだ。
頭の中では「あれをやって、これをやって、そして、これをやる」と、やることリストが常に更新されているにも関わらず、アウトプットが全く追いついていない。
まさに「消化不良状態」だ。
こんな時は「白い部屋」へ入ろう。
一度頭の中をクリアにして、そして1つ1つ確実にこなしていこう。
別に、30点の作品でも良いじゃないか。
そんなことを今日も考えている。